ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「原発プロパガンダ」を読む

著者の本間龍氏は元博報堂社員で原発についての著書を多く出版されている作家である。前書きに次のように書かれていた。

「2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所事故発生以前、国内のほとんどのメディアは、政府及び原子力ムラによる原発礼賛広告、または翼賛記事を大量に掲載、放映していた。それらはいずれも『原発は絶対に事故を起こさない』または『万が一事故が起きても、絶対に放射能漏れは起きない』といった『安全神話』に彩られていた。この他にも『原発はクリーンエネルギー』『原発は再生可能なエネルギー』というフレーズを繰り返し流布していった。本書はこれら『安全神話』の流布を、国民を原発推進に駆り立てるための『原発プロパガンダ』であったと定義し、約40年間にわたり、原子力村がどのようにして国民に神話を信じさせていたのか、その実行主体と協力者、そしてその手法と事例を解説したものである」

「1950年代から国策として国が主導し、政官学と電力業界を中心とする経済界が展開した原発推進 PR 活動は、実施された期間と費やされた巨額の予算から考えて、まさしく世界でも類がないほどの国民扇動プロパガンダだった。独裁国や軍事国家なら、国家や権力者の意思を伝えるために国民をテレビやラジオの前に強制的に座らせ、為政者の発言や演説を聞かせることができるが、平時における自由主義社会では、もちろんそうはいかない。そのため、権力側の主張を無理なく効果的に国民に伝える、別の手段が必要となった。その役割を担ったのが、戦後、日本人の生活の隅々にまで浸透した『広告』であった。そしてそれらを実際に作り、最も効果的な展開計画を立案し実行したのが、電通を頂点とする大手広告代理店であった。一見、強制的には見えず、さまざまな専門家やタレント、文化人、知識人たちが笑顔で原発の安全性や合理性を語った。原発は豊かな社会を創り、個人の幸せに貢献するものだという幻想にまみれた広告が繰り返し繰り返し、手を替え品を替え展開された。その広告展開のために電力9社(
原発がない沖縄電力を除く)が1970年代から3.11までの40年間に使った広告費は、実に2兆4000億円に上った。
また、原発プロパガンダを実施したのは電力会社だけではなかった。全国の電力10社による会費で運営される電気事業連合会は電力会社の別働隊として、電力供給管内に活動が縛られる電力会社になり代わり、地域や県に関係なく広告を出稿した。さらに経産省資源エネルギー庁環境省などの政府広報予算、2000年頃から広告を開始したNUMO(原子力発電環境整備機構)をも加えれば、投下された広告費は2兆4000億円よりもさらに数倍に膨れ上がっていた。原発プロパガンダは日本で飛び抜けて最大の広告予算を持つ集団である。原子力ムラはこれの莫大な資金を広告代理店に渡し、あらゆるターゲット向けに原発の有用性をすり込む広告やコマーシャルを大量に作らせ、ばらまいた」

「これら大量の広告は、表向きは国民に原発を知らしめるという目的の他に、その巨額の広告費を受け取るメディアへの、賄賂とも言える性格を持っていた。あまりに巨額ゆえに、一度でもそれを受け取ってしまうと、経営計画に組み込まれ、断れなくなってしまう。そうしたメディアの弱点を熟知し、原子力ムラの代理店としてメディア各社との交渉窓口になったのが、電通博報堂に代表される大手広告代理店であった」

「反原発報道を望まない電力各社の意向は、大手広告代理店によってメディア各社に伝えられ、隠然たる威力を発揮していった。電力各社は表向きカネ払いの良いパトロン風の『超優良スポンサー』として振舞うが、反原発報道などをしていったんご機嫌を損なうと、提供が決まっていた広告費を一方的に引き上げるなど強権を発動する裏の顔をもっていた。そうした『広告費を形』にした恫喝を行うのが、広告代理店の仕事であった。さらに、原発広告を掲載しなかったメディアも批判的報道は意図的に避けていた。電事連がメディアの報道記事を常に監視しており、彼らの意図に反する記事を掲載すると専門官を動員して執拗に反駁し、記事の修正・訂正を求めたのでメディア側の自粛を招いていった。こうして3.11直前まで巨大な広告費による呪縛と原子力ムラによる情報監視によって、原発推進勢力は完全にメディアを制圧していった」

前書きにに書かれてあったように、。原発プロパガンダの中身はすさまじいものであった。
例えば、1988年に青森放送が制作し 「NNN ドキュメント」で放送された「核まいね(核はダメ)ー揺れる原子力半島」は、六ケ所村の核燃料サイクル施設の建設をめぐって分断される地元の悲哀と苦悩を鋭く描き出した番組として大好評を博し、「日本民間放送連盟賞」「地方の時代映像祭賞」など多数の賞を受賞した番組であったが、科学技術庁が事実誤認があるとしてクレームをつけた。青森放送はこれを拒否して放送し高い評価を受けたが、その後、青森放送の社長交代や青森放送の報道制作部の解体騒動まで発展した。ローカルテレビ局の独自の取材による反原発放送は個別に攻撃され自粛へ向かっていった。

原発プロパガンダは9・11以後なくなったのではなく、現在もしっかりと存在している。今も、正しい情報は遮断され、都合の良い情報だけが垂れ流しされている状況は変わらない。テレビの前にただ座っていたのでは正しい情報は得られない。大手メディアの報道を盲信するのでなく、自分の目で、自分の耳で、自分の頭で考えることが重要であると再認識した一冊となった。