井上ひさしさんは私が好きな作家である。昔、井上ひさしさんが「ひょっこりひょうたん島」の作詞をしたことを知ってそれ以来好きになった。放送作家である井上さんが「ひょっこりひょうたん島」の中で発する言葉の豊かさに驚いたことを覚えている。「日本語相談」という企画は「週刊朝日」誌上で、読者からの日本語に対する疑問質問に識者が答えるコーナーであった。「日本語相談」の連載が始まったのは1986年である。回答者は大野進、丸谷才一、大岡信そして井上ひさしという日本語を語らせたら最強の四人が交代で回答するというこの上なく贅沢な企画であった。今回手にした「井上ひさしの日本語相談」は井上ひさしさんの回答文のみを抜粋したものである。私も、日本語を使って長いこと生きてきたが、「日本語相談」を読んで今なお日本語について知らないことばかりだと実感した。
日本語相談に掲載された質問疑問のいくつかを記す。
問、「私たちの国の本当の名前は『ニホン』でしょうか『ニッポン』でしょうか。この番組も『ニホン語相談』と読むのか『ニッポン語相談』と読むのか迷います。一体どちらが正しいのでしょうか」
回答、昭和初期に外国人によって同じ質問があり1934年の文部省臨時国語調査会で“ニッポン”を正式呼称とするという案が議決されましたが、これは法律に制定されるまでに至らず、そのまま放置されて現在も依然として二本たてで使用されています。ものの本によりますと、少なくとも室町時代あたりからこのニホンとニッポンの二本立てが続いてるようですから、これはなかなか由緒ある二本たてなのです。小学館の日本国語大辞典によれば「日本」は呉音の字音読みとしてまず「ニッポン」と発音されたのだそうです。それが次第に、日本的に柔らかな「ニホン」に変わっていたらしい。そして現在ではニホンが主流になりました。結構なことです。ちなみに今の憲法を正式には「ニホン国憲法」と呼びます。
問、「日常会話やテレビなどでよく使われる言葉に、一番最初、いま現在、あとで後悔する、たしかな事実、長い間ご無沙汰、口で喋る、耳で聞く、外に出かける、二度と再び、・・・・といったものがありますが、これらの言葉は重複表現で間違っていると解釈すべきでしょうか。それとも慣習として許容すべきでしょうか」
回答 幼い頃、流行った戯れ歌を思い出しました。以下のようなものです。「昔、武士のサムライが、馬から落ちて落馬して、面目ないと詫びるため、腹を切って切腹した」 「月も星も出ていない暗い夜、年を取った婆さんが今年三つの幼子連れて、一本道をひたすらまっすぐ行きました」似通った意味の言葉を重ねて意味を過剰に溢れさせることの無駄さ加減やバカらしさが小学校の低学年児童にも理解できたらしく、この手の重複表現をいくつも暗記し、それを披露しあって笑い興じていました。しかし、子供のころ、笑いの対象でしかなかったあの重複表現も、効果的な話し方の規範である修辞学では「冗語法」という立派な技能の一つです。この冗語法は、何かを強調しよう、より強く印象づけようとするときに用いられます。質問の中に見える重複表現は、いずれも、強調するため、確かな印象を相手に与えるためになかなか効果がありそうです。とくに日常会話やテレビの中での会話は、話し言葉ですから次々に消えていってしまいます。そこでに似通った意味の言葉、つまり類語を反復することで相手にそのことを強調しよう、そのことを印象づけようとする効果が生まれます。筆者は重複表現を間違いだとは考えておりません。いや、むしろ、会話の中へもっと盛んに取り入れて、意味をしっかり相手に伝えるべきだと思っています。
問 「自動車や自転車は『走る』といい、飛行機やヘリコプターは『飛ぶ』というのに、なぜ船は『泳ぐ』と言わないのでしょうか」
回答 走る、飛ぶ、泳ぐ、いずれも事物がある一定の方向へ進むという意味では、共通しています。ただし、その進み方にだいぶ違いがあります。ここは重役室。今、重役が書類に目を通しています。そこへ部下が入ってきました。その時の重役は、「視線を走らせた」素早い目の動きです。この動きだけで重役が切れ者という雰囲気が伝わります。「視線を飛ばした」これもまたすばやい目の動きです。ただし、この場合の重役は豪放磊落、何か明るい感じです。「視線を泳がせた」目の動きがもたもたしています。重役には何か弱みでもあるのでしょうか。こんな風に使い分けているのですが、それはともかく、「走る」は事物の素早い移動、「飛ぶ」は途中にあるものを省略してその先へすばやい移動、そして「泳ぐ」は同じ移動でありながら、何かしら滞っている印象があります。これはそれぞれの漢字の語源から来ているものです。「走る」は人が足を動かしてせかせか行くという意味が込められています。「飛ぶ」は鳥が二つの羽を左右に広げて飛ぶ姿、そこから「飛ぶように早く行く」という意味に使われるようになりました。泳ぐは、「長く続けて水に浮かぶこと」を表しています。そこで、漂っている、たゆたっている、うろうろしているという感じを含むわけです。こういう次第で、泳ぐには、素直に前へ進まないような気分がありそうです。それがどうも船にはふさわしくない。そこで船が「泳ぐ」とは言わないのではないか。私はそんなことを考えました。ちなみに、船は「走る」です。鴎外の「山椒大夫」にもこうあります。「船足というものは、重すぎては走りが悪い」
「日本語相談」には様々な質問、疑問が寄せられて、それに対して井上さんはひとつひとつ丁寧に答えておられた。井上さんは言葉を愛している人だと思った。「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」という井上ひさしさんの創作のモットーがこの本にも溢れていた。それにしても、私は70年以上日本語を使い続けて、今なお知らないことばかりで我ながら驚いた。