ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「興福寺ひいな展」に行く

興福寺は元和6年(1620)明僧・真円が創建した黄檗禅宗唐寺である。長崎では雄大な朱色の山門により「あか寺」として親しまれている。当時、長崎には多くの中国人が滞在していて、それぞれ出身別に興福寺崇福寺、福済寺などの自分たちの寺を建てた。興福寺は長崎に住む中国人が最初に建てた唐寺で、日本における黄檗宗の発祥の地である。


その興福寺で素朴で愛らしい郷土雛展が行われているので見に行こうと連れ合いから誘われて見に行った。本堂には素朴で可愛らしいお雛様達が参集して華やいだ賑わいを見せていた。

 

佐賀・弓野人形

弓野人形は、博多人形の完成された美に飽き足らない思いをした博多人形師が佐賀県で制作した土人形が始まりとされ、昔は佐賀県内ではひな祭りに多くの家庭が弓野人形を飾るという風習があったようだ。

 

宮崎・佐土原人形

佐土原人形は宮崎市佐土原町で作られている郷土人形である。1597年慶長の役の際、朝鮮から佐土原に移り住んだ高麗人が戯れに人形を作ったのが起源と言われている。

 

兵庫・須磨張り子

須磨張り子は須磨で始まった創作張り子である。干支、雛、節句ものなど創造性豊かな作品が作られている。

 

山形・米沢 相良人形

相良人形は山形米沢で200年以上の歴史の伝統工芸、土人形である

 

富山土人形

富山土人形は、土で作った素焼きの人形で、富山藩時代より続く富山県の伝統工芸玩具である。19世紀半ば、富山藩主の招きで窯を築いた陶器職人が陶器作りの傍らで土人形を焼いたことに始まるようだ。

 

鳥取 廉兵衛人形

鳥取県の郷土玩具、北条土人形である。戦後、加藤廉兵衛さんが作り始めた土人形で、親しみをこめて「れんべえ人形」と呼ばれた。多くの蒐集家から愛された「れんべえ人形」であるが、加藤さんがこの世を去り廃絶となった

 

福島県 三春人形

三春人形は、福島県三春町一帯で古くから作られてきた郷土玩具の張り子人形である。三春張り子ともいう。

 

山形酒田 鵜渡川原人形

鵜渡川原人形は、江戸時代から湊町・酒田に伝わる色彩豊かで素朴な温かさを感じる土人形である。江戸時代に北前船で京都から伝わった伏見人形が原型といわれている。

 

秋田・八橋人形

秋田・八橋人形は、秋田・八橋地区で江戸時代中頃から制作されてきた素朴な土人形である。天神人形や縁起物、干支、招き猫、舞妓など約90種の人形が制作されている。

 

秋田・横手 中山人形

秋田・横手 中山人形は横手市の郷土玩具である。中山人形は土人形ながら精巧な模様と明るい色彩が特徴である。

 

青森・弘前下川原焼土人形

青森・弘前の下川原焼土人形は、赤土と砂を調合した粘土で作り、約800度の高温で釜焼きし、最後に色つけをする。鳩笛や干支人形も有名である。

 

各地の雛人形が本堂に飾られていた。お雛様たちのご尊顔を拝しながら境内を歩き楽しいひとときを過ごすことができた。春に賑やかに包まれる感じである。今日の長崎新聞では各地のひな祭りのことが書かれていた。同時に、昨年の長崎県の出生者数は8174人で戦後最も多かった頃の5万6千人と比べて、7分の1ほどに減ったと書かれていた。このまま少子化がさらに進んでしまえば未来のひな祭りが寂しいものにならないか心配になると嘆いていた。私も同感である。いつまでも賑やかなひな祭りが続いて欲しいと願う。