ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

五島列島キリシタン物語 日帰りツアー

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五島列島キリシタン物語 「久賀島奈留島編」の日帰りツアーに参加した。あいにくの雨であったが、充実した1日を過ごすことができた。

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久賀島定期船シーガル

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シーガルのグラスボート内部

8時50分福江港五島市観光協会に今日の日帰りツアー参加者全員集合。予定通り定期船シーガルにて久賀島の田ノ浦港へ出発。シーガル号は半潜水式グラスボート仕様になっており海中公園周遊に使用されているということであった。福江島近辺の海は透明度が高くサンゴ・熱帯魚・海藻類を楽しめるようだ。

 

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浜脇教会遠望

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三角の鐘塔が特徴の浜脇教会

出航して15分ほどすると進行方向右手に教会が見えてくる久賀島の浜脇教会である。最初の浜脇教会は、迫害を乗り越えた久賀島の信徒たちによって1881年(明治14年)に建立された。当時の木造の教会は増え続ける信徒の数に対応できなくなり、1931年(昭和6年)五島で最初の鉄筋コンクリート造教会として建築した。戦争時代は白亜の教会は目立つことから黒く塗られた時代があった。(木造の旧教会は五輪教会堂として五輪地区に移築)

 

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「牢屋の窄」記念石碑

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牢屋の窄殉教記念聖堂

次に牢屋の窄殉教記念聖堂に行く。「久賀島カトリック信徒囚獄の跡」の説明文を読む。「江戸幕府に続く明治政府のキリシタン弾圧により、明治元年九月、久賀島の信徒が捕えられ、激しい火責め、水責め、算木責めの拷問を受けた。牢屋の窄では6畳の間に老幼男女200名が収容され、人間の密集地獄に閉じ込められ、身動きすることも困難な中、飢えと苦痛から在牢八ヶ月で殉教者39名に上った。」

明治政府が絶対主義神道国家確立のため祭政一致を唱え、その政策遂行のためカトリック信徒を弾圧したものである。近代史にこのような事実が行なわれてきたことを知って愕然とする。久賀島カトリック信徒はあどけない幼児から老人に至るまで超人的精神力をもって、この比類ない弾圧の苦痛を耐え忍び、信仰の自由と良心の尊厳とを身をもって主張し信仰を守ってきた。信徒の不屈の精神に人間としての偉大さを思う。

 

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五輪教会堂外観

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五輪教会堂内部(リブホールド天井と祭壇)

次に旧五輪教会堂へ行く五輪教会堂への道は車は通わない。舗装もされていない山道を500mほど歩いて進む必要がある。集落そのものが文化遺産として世界遺産登録されている地域なので、歩道の舗装化などの人工的な変更は簡単にできないらしい。今日は雨の一日で山道は滑りやすい。くれぐれも転倒などしないように小幅な歩みで進むよう注意を受ける。また、杖も準備されていて助かった。

旧五輪教会堂は昔の浜脇教会を移築したもので、国の重要文化財に指定されている。長崎県にある教会堂としては長崎市大浦天主堂(国宝)に次ぐ古さを持つも木造教会であり、創建当時の姿を残している貴重なものである。

ガイドさんの説明によると、歌手の五輪真弓さんの先祖はこの五輪地区出身で、五輪真弓さんのお父さんは若い頃この旧五輪教会堂のオルガンを弾いていたという話であった。

 

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奈留海上タクシー「あやかぜ」

五輪教会堂の写真を撮っていたら、「次はタクシーで移動しますから五輪教会堂の前の岸壁に30分に集合して下さい」といわれたので岸壁に集合した。タクシーはどこから来るのかと道路をさがしても、車が通れるような道路はない。ここでいいのだろうか?と不安になっていたらガイドさんが来た。「あれに乗ります」と言うガイドさんが指す方向を見ると海上タクシーが目の前に来ている。タクシーはタクシーでも離島では海上タクシーのことをタクシーと言うらしい。それに乗船して奈留島に移動。

 

 

奈留島に到着したら江上天主堂へ向かう。江上天主堂に向かう途中、ガイドさんの説明が続く。奈留島のこの地区は野茂英雄さんのお父さんの出身地です。今も実家がありますし、お墓もあります。と言って野茂投手のお父さんの実家を案内してくれた。野茂英雄さん自身も法事などで何度もこちらを訪問されていて、地元の方とも気さくにお酒を酌み交わすなど地元の人気は抜群です、などと話されていた。

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江上天主堂外観

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江上天主堂東壁

この江上天主堂は、教会建築の父と言われる鉄川与助氏が手がけたもので、木造ロマネスク様式の天主堂として最も完成度が高いと評価されている。左右対称のシンプルな外観と純白に彩られた板張りの外壁がこの教会の特徴である。また、内部はアーチ型の美しい天井、木目塗りの珍しい装飾が美しく、価値の高い建築様式であり、平成20年には国の重要文化財に指定されている。また、湿地帯であったことから

高床式の作りになっており、また教会堂として珍しく屋根に十字架を設置していない。そのかわり東壁に朝日を受けて十字架が光で浮き出る工作がこしらえてあり、幻想的な十字架を目にすることができる。

 

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福江奈留島定期船 ニューたいよう

奈留島観光を終えて奈留港ターミナルに向かっているとスピーカーから荒井由実さんの「瞳を閉じて」の曲が流れてきた。「風がやんだら沖まで船を出そう   手紙に入れたガラスびんを持って   遠いところに行った友達に   潮騒の音がもう一度届くように   今   海に流そう・・・・」ガイドさんの説明によると、その昔、奈留高校が誕生したばかりの頃まだ校歌ができていなかったことから、在校生が荒井由実さんに校歌を作って欲しいとお願いしてできた曲が「瞳を閉じて」という曲で、今は、奈留高校の愛唱歌になっているらしい。奈留島ではこの曲がよく流れているらしい。奈留島にぴったりの曲である。この曲を聴きながら福江行きの定期船「ニューたいよう」に乗船して帰路に着いた。