先日、知り合いの女性が私のブログについて感想と意見を述べてくれた。その方は、私のブログの熱心な読者ではないが、時々見ていると言うことであった。
彼女は次のように述べた
「あなたのブログには政治的な話が多い。あなたの主張は左翼ですね。あなたのブログの政治的な話題を見ると、いつも誰かを批判したり、非難したりしている。時には激しい言葉を発していることもある。あなたのブログには怒りがある。私はあなたのブログを見て主義が違うこともあり、ほとんど同意できないことばかりです。そして、あなたの主張は、私には「負け犬の遠吠え」に聞こえます。あなたは人を非難しますが、反面非難された人はあなたに反感を持ちますよ。あなたは反感を持たれていることを自覚していますか?あなたはもうすでに高齢者ですよ。いつまでも「負け犬の遠吠え」みたいなことばかり言っていないで、政治の話は卒業して、自分の身近に起きた楽しいことだけをブログに書く方がいいのではないですか。怒りやすい高齢者は認知症になりやすいとかいう話もありますから、怒りを出さないように心がけた方がいいかもしれませんよ」
彼女の感想を聞いて、私の政治的発言を「負け犬の遠吠え」と言われたことに正直驚いた。彼女は、私のことを左翼と言った。日本では「左翼」が共産主義や社会主義をめざす勢力を指すのに対して、「右翼」は左翼勢力に反対して自由市場の資本主義を擁護する自由主義体制をいうことから、現在、左翼は野党で右翼は政権与党ということになる。
私は、信奉する主義主張があってそれに従って意見を発しているのではない。私は、私たちの生活に直接強い影響を及ぼす、現在政権を担当している自民党の政策に関心を持ち、自民党の政策を常にウオッチしている。自民党の政策が良いと思えば支持するし、良くないと思えば批判をしているだけである。国民が政権与党の政策に関心を持ち、それに異を唱えたり、批判的な意見を述べることを、「負け犬の遠吠え」と言われたら何か違うと思うが、政権与党に近い方から見ると反対意見はそのように見えたりするのかもしれないと思った。
因みに、負け犬の遠吠えを辞書で引くと「臆病な人が陰でいばり、陰口をたたくことのたとえ」と書いてあった。私がブログで、権力者である政権与党の政策を非難していることは、権力者側から見ると、弱い人間が表で堂々と言わないで陰で、こそこそと陰口を叩いているように見えるのかもしれないが、私は陰でこそこそ言っているつもりはない。
そして、非難された方の支持者は反感を持ちますよといっていたが、反感を持たれてもそれは仕方のないことだと思う。喧嘩ではないのだから反論があれば反論すれば良いだけである。さらに、議論を深めて一致点が見出されば幸いだし、一致点に至らなくても、議論を深めることが重要であると思う。
怒りやすい高齢者にならないように注意してくださいと言われたが、確かに高齢者になると、加齢による脳機能の低下で、前頭葉の機能が衰え感情を抑えることがうまくできなくなり、怒りやすくなるという研究結果もあるようだ。認知症にならなくても、高齢者は怒りやすい症状が出やすいようだ。そのような意味では、自民党政権の裏金問題や統一教会問題などは高齢者ばかりではなく国民全体から怒りを買うことばかりしている有様だから、自民党の政治に関心を持つのは精神衛生上良くないので見ないようにして、政治以外の話題でブログを書いた方が良いという提案は一理あると思う。しかし、政治に関心を持って監視続けることは国民の義務と思っているのでやめられない。
親しい人からブログについての意見をいただいたが、立場が違うと「負け犬の遠吠え」に見えるのだと初めて知った。彼女は、私が政治に関心を持つのは穏やかな人生を過ごす上で、私にとってマイナスになるからやめた方がいいと、私のためを思ってアドバイスをしてくれたと理解しているので腹は立たない。彼女の意見は「年寄りが今更あれこれ文句を言ってもしょうがないでしょう。それよりは残り時間は限られているのだから自分が楽しいと思うことだけをして楽しく過ごせば、周りもより楽しくなりますよ。ブログで周りに怒りをばら撒いてどうしますか?マイナス面はもう見ないようにしたらどうですか?その方がいいでしょう」という意味のようだ。
親しいから単刀直入に意見を言ってくれたことは有り難いと思う。しかし、受け入れられることと受け入れられないことがある。「負け犬の遠吠え」は現在の政権与党である自民党を倒すまで言い続けるしかない。いや、政党に関係なく、政権与党については国民のための政治をしているかどうかを、国民の義務として死ぬまで厳しく常にウオッチしていかねばならないと批判されて改めて思った。