崔善愛(チェソンエ)さんが書いたコラム「真実の側に立てた」を読んだ。崔善愛さんはそのコラムで「311子ども甲状腺がん裁判」の原告者の声を取り上げていた。その一部を記す。
「2011年3月11日、福島県内に住んでいた瞳さん(仮名)は小学6年生だった。学校から帰ると、ランドセルを玄関に放り投げ、公園で友達とブランコに乗っていた時、大地震が起きた。それでも春休みに入り、毎日のように友達と遊んでいた。その間、東京電力、福島第一原発のメルトダウンやプルーム(放射性雲)による放射能の危険性を即座に発表せず、「直ちに健康に影響はない」と枝野幸雄官房長官(当時)は言い放った。
被災当時、6歳〜16歳の若者7人が原告となり、「3·11子ども甲状腺がん裁判」で東電を相手に闘っている。提訴は4年前だが、昨年から原告に加わった瞳さんは、高校2年生の時に甲状腺がんを告知された。
<私は9年前、甲状腺がん手術の前日の夜、暗い部屋で1人、途方もない不安や恐怖を抱えていました。そのとき、私の頭に浮かんだのは、「武器になる」という言葉でした。私は当時、「甲状腺がんの子ども」を反原発運動に利用する大人に怒っていました。私は、大人たちの都合のいい「かわいそうな子供」にはならない。何があっても幸せでいよう。そう思いました。でも気づくと、国や東電に都合のいい存在になっていました。胃がねじきれそうなほど、悔しいです。私が受けてきたものは構造的暴力です。命より、国や企業の都合を優先する中で、私たちの存在はなかったことにされていると気づきました>(25年9月17日第15回口頭弁論期日の意見陳述より。1部略)
さらに、3月4日第17回弁論後の支援者集会で、瞳さんは次のように語った
「今までお医者さんから言われたとおり『もともとあったがんが見つかっただけだ』という言葉を信じていましたが、この裁判を知り、真実に触れました。いかに論点がずらされているか。子どもたちが矢面に立たされているか。今まですりかえられた論理の中で、一人何をどうしたらいいのかわからずにいました。法廷で意見陳述するのは痛みを伴う作業でした。でも痛みを言葉にすることができ、真実の側に立てました」
崔善愛さんは言う。瞳さんの話は「怖い、助けて」という心の震えが伝わった。小児甲状腺がんは年間100万人のうち1〜2人という希少なもの。にもかかわらず、罹患者は400人を超えた。手術や再発で苦しむ患者に医者も政府も東電も『因果関係はない』と断言する」と書かれていた。
私は「311子ども甲状腺がん裁判」のことは何も知らなかった。小児甲状腺がんは年間100万人のうち1〜2人という希少なものにもかかわらず、罹患者は400人を超えたという。この事実だけでも、因果関係は十分認められると思うが、医者も政府も東電も「因果関係はない」と断言しているという。こんな不条理なことがあっていいのだろうか。これが日本社会の実態なのかと思うと失望しかない。子どもの生命を守れない社会は滅亡すると言われるが、日本はまさに滅亡への道を進んでいると言わざるを得ない。嘆いていても始まらない。「311子ども甲状腺がん裁判」を見守っていきたい。