早田ひな選手が、13日に帰国後、都内の会見で「鹿児島の特攻平和会館に行って、自分が生きているのと卓球ができているのが当たり前じゃないことを感じたい」と話したことが話題になっている。
この発言について、社会学者の古市憲寿氏は、15日にフジテレビ系列「めざまし8」に出演した際、「僕も父親の実家が鹿児島で、知覧のそばなんで、知覧とか万世の特攻の資料館はよく行ったりするんですけど、特攻があったから今の日本が幸せで平和だっていうのはちょっと違うなと思っていて、むしろ特攻みたいなことをさせない社会にしていく必要があると思う」と語った。
その古市氏の発言について、「早田さん批判としか受け取れない」などの多くの批判の声が寄せられた。それに対して、古市氏はXで、「早田ひなさんを批判するわけがないじゃないですか。特攻隊の話題が出てくるたび、都合よくその歴史を美化する馬鹿な人を批判してるんです」と発言の真意を説明していた。私も、古市氏の発言は、まともな発言だと思うし、早田選手の批判には当たらないと思う。
そういうなか、ネットで植草一秀氏が、「早田ひな選手の知覧発言について」寄稿していた文章を拝見した。全く同感するので以下に引用する
「早田選手は『鹿児島の特攻資料館に行って生きていること、そして、卓球ができることが当たり前ではないということを感じたいと思う』と述べたが、深い真意は不明である。このことについてさまざまな論評がなされているが、日本が突き進んだ戦争について正しい認識を持つことが重要だ。
敗戦間際の特攻は究極の人権蹂躙である。日本は戦争に突き進むべきではなかった。戦争に突き進んでしまったあとも、早期に敗戦の決断を示すべきだった。国家の誤りによって多数の国民が犠牲になった。国民が犠牲になっただけでなく、他国の人々に多大な犠牲を強いた。
この過去を直視して見解を示したのが村山富市首相で、1995年8月15日、『村山談話』が発表された。
村山首相は次のように述べた。『平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。』
さらに、こう述べた。『われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。』
早田選手がこの思いで知覧に行きたいと述べているなら正当だ。村山談話の核心は以下の部分にある。『わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。』
日本は、遠くない過去の一時期、『国策を誤り、戦争への道を歩んで』、『国民を存亡の危機に陥れ』、『植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え』たのである。このことについて、村山首相は、『疑うべくもないこの歴史の事実』を謙虚に受け止め、『ここにあらためて痛切な反省の意』を表し、『心からのお詫びの気持ち』を表明いたしますと述べた。
過去の過ち=疑うべくもない歴史の事実を直視し、『痛切な反省の意』を表し、『心からのお詫びの気持ち』を表明した。このことを私たち日本国民は忘れてはならない。
この上で、村山首相は、『この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます』と述べた。
『植民地支配と侵略』によって近隣諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えたことについて、『痛切な反省の意』を表し『心からのお詫びの気持ち』を表明したことが重要だ。
しかし、談話の意味はそれだけではない。村山首相は『国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ』たと述べた。『国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ』た象徴のひとつが特攻である。国家が国策を誤り、国民の人権を奪い、国民のかけがえのない命を奪った。国家による犯罪行為=殺人行為である。その犠牲者を追悼し、哀悼の意を捧げることが重要だ。未来ある若者が国家によって犠牲にされた。このような過ちを二度と繰り返してはならない。この思いを確認する場として特攻記念館があるなら意味はある」と述べていた
早田ひな選手が、「鹿児島の特攻記念館を訪問したい」と語ったことは村山談話の意も解しているものと理解したい。古市氏の発言にあるように、特攻隊の話題を都合よく歴史を美化するために使う馬鹿な人が日本にはいることも事実である。早田選手にはそのことも知っておいてもらいたいと思う。