昨年12月に「みさき道を歩く その1」で長崎市内の出発点の館内から蚊焼までを歩いた。「みさき道を歩く その2」はその続きで、いよいよ目的地の観音寺までを歩くことにした。
昨年12月に、次回は1月30日、集合場所は三和町行政センター駐車場、午前8時半集合という約束をして別れていたが、当日、全員が時間通り元気に集合した。昨年以来初めての再会なので、「今年もよろしくお願いします」とお互いに挨拶して、リーダーの説明を聞く。
「今日のコースは80%近くが山の中の古道を歩きます。古道という通り今では道跡がはっきりしないところも多くあります。一応到着時間は16時を予定しています。しかし、道を探しながらの「みさき道歩き」なので、道を見失なうなどして予定通り進まないこともあり得ます。その時は、その時点で相談したいと思います」という説明を受けてスタートした。なかなか難コースみたいである。
今日のスタート地点のすぐ隣にある三和町行政センター駐車場に車を停めて、みさき道の蚊焼峠入り口に向かう。この手作り看板から今日の岬道がスタートする。この辺りは住宅地でアスファルトの小さな一般道を上って行く。この近辺は開発のため古道の面影は全くない。昔の地図から推測してこの辺りをみさき道が通っていたようだ。
しばらく行くと、道路脇に整地された大きな広場が造られている。石柱には本島等・髙實康稔、記念平和庭園と書かれている。お二人のことはもちろんよく知っているが、この庭園のことは知らなかった。本島氏は元長崎市長であり、髙實氏は元長崎大学名誉教授である。お二人とも既に亡くなられている。お二人の共通する考えは、日本の戦争犯罪を厳しく問い、かつ戦争の過去に目をつぶるなと主張されてきたことであったと思う。過去に目をつぶるとまた同じ間違いを犯すと主張されていた。そのお二人が共同で「日中友好平和不戦の碑」という石碑を残されている。まさにお二人の遺言である。お二人の思いを後世に生きる者は間違いなく継承していかねばと思う。
記念庭園を過ぎてしばらく進むと三和史談会が設置した案内がある。ここから先は、昔からのみさき道が続くようだ。土が剥き出しの山道を上っていく。
道なりに進む。道なりにときどき赤いテープを見つける。このテープはみさき道の案内テープと思いながら進んでいく。分岐点に出る。道なりに行くと右カーブであるが、赤いテープは直進方向にある。直進方向に赤テープがあるからこちらで間違いないと思い赤テープを追って上っていく。300mほどそのまま上り続けると森林伐採の作業をしている人に出会う。尋ねるとこのテープはみさき道ではないという。テープを過信して道間違いをしてしまったようだ。戻って再出発をする。
テープを過信して失敗したので、テープには要注意である。それでもいつしかテープはオレンジ色に変わっている。テープには騙されないようにと思いながら進んでいくとみさき道の案内が出てきた。オレンジテープはみさき道の案内テープで間違いないようだ。
みさき道の傍に石塔がある。正面には「妙道尼信女」と刻まれている。解説によれば、その昔、観音寺に参拝する尼さんがみさき道で行き倒れとなり、その女性を祀った墓碑らしい。墓碑には花が手向けてあった。墓碑を過ぎてしばらく進むと樹木の合間から海が見え出した。海の先には伊王島が見える。昔の人もこの景色を眺めながらみさき道を歩いたことだろう。
黒岳(243m)到着。頂上には明治32年設置の長崎要塞区城標と書かれている陸軍省の石柱がある。この一帯は軍事用に何かしら使われていたようだ。
道なりに沿って黒岳から下りてきたら、自転車道と出会う。その脇に石柱がある。石柱には長崎ヨリ5里、反対側には御崎(みさき)ヨリ2里と刻まれている。ここが昔のみさき道であることは間違いない。あと観音寺まで8kmである。
黒岳、ニノ岳を過ぎて殿隠山へ向かう。頂上を通らない巻道コースも昔はあったようだが、今は藪になっていて通れないようだ。殿隠山経由で観音寺を目指す。この上りはきつく、やっとの思いで到達。頂上の一角には座って休めと言わんばかりに、サルノコシカケがいくつもあった。
殿隠山で小休止した後、今日最後の山である遠見山(259m)を目指す。殿隠山の頂上から景色は望めなかったが、遠見山からの展望を楽しみに上っていき、頂上に到達。頂上からの展望は樹木が大きくなり一部視界を遮っていたが、樺島などが眼下に見える。
遠見山からひと下りして目的地の観音寺に到達する。到達時間は予定より1時間超え17時になった。観音寺の山門を過ぎると阿吽の仁王像が出迎えてくれる。そして本堂の前に整列して全員で般若心教を唱えてお参りした。
長崎からみさきの観音寺まで古人がやったようにみさき道を歩いて参拝した。その当時、多くの人がみさき道を歩いて観音寺にお参りしたと書かれていたが、昔の人の信仰心の強さを思う。便利な世の中は素晴らしいが、便利なために失ったものがあるのではないかと思うみさき道の参拝であった。