人とお話しして、話がうまくできなかったことを反省することがある。
先日、定年退職した方とお話をする機会があった。その方は、定年後も、会社の再雇用制度で65歳まで仕事を続けるという話をされていた。その方は60歳といってもまだまだお若いし、元気な方なので、それは良いですねと話をしながら、酒とタバコの話になった。その方は、今も酒もタバコも止めずに続けているという話をされていた。その話を受けて、私は次のように言った「健康で元気であれば問題ないですね。私は若い時からずっと酒もタバコも飲み放題、吸い放題の生活を送っていましたが、60歳の時に病気をして、担当の先生から、酒も煙草も止めなさいとアドバイスを受けて、それ以来酒もタバコも止めました。お陰で今は、身体も順調です。健康で病気持ちでない方は羨ましいですね」と話をしたら、「私は健康と言えないですね。血圧や内臓に病気を抱えています」と言われたので、「私は担当のお医者さんから怒られて止めましたよ」と私が言った後、そのまま、話が途切れてしまった。
家に帰って、あの時の気まずい雰囲気になったことを思い出し反省した。あの時私は、禁酒・禁煙を始めた頃に、友達から言われた次のことを話をすべきだったと思った。友達が禁酒禁煙中の私に向かって言った言葉は次の通りであった。
「お前は、禁酒禁煙をして自分だけ長生きするつもりやろ。自分だけ長生きするというのは自分勝手すぎるぞ。そんなくだらんことは止めとけ。自分だけ長生きして楽しいかよく考えろ。自分だけ長生きしても、その時誰も友達はいないんだぞ。それはつまらんだろう。友達と一緒に酒を飲んで煙草を吸って愉快に過ごして、同じ時期に終わるのが一番良いに決まっとる。長生きして、一人だけ最後まで残されて幸せかよく考えろ!そして友達として忠告するが、人に言われて簡単に方針を変えるな!酒ぐらい最後まで貫き通せ」
友達の話を聞きながら、私は禁酒禁煙で長生きして、友達もいない一人残された自分を考えてみて、それも嫌だなと思った。知っている人がいない、友達もいない世の中に生きても確かに楽しくないだろうと思った。その意味では確かに長生きは良くない。だったら、禁酒禁煙は間違いなのかなと一瞬思ったりもした。
しかし、私は今も禁酒禁煙中である。なぜなら、私の病気は発症すると苦しみを伴う病気であったため、それを考えると簡単に禁酒禁煙を止めることはできなかった。そして、今ではもう酒もタバコも受け付けないような身体になってしまった。このまま飲酒喫煙を続けると長生きできませんよというアドバイスで禁酒禁煙に取り組んできたが、友達のアドバイスを考えると正しいかったかどうかわからない。
先日の会話の時に、この話をしたらあの時の気まずい雰囲気にならなかったのではと悔やむ。
今回の気まずい雰囲気は、私は自分で気づかないうちに、自分の価値観の押し付けをやっていたのだと思った。話をする時はよく相手方の話を聞き、自分の意見を言う場合も押し付けにならないように気をつけて話さねばと思った。